特別編 because I love



 キッカケは些細なことで……




 私は恋人を失った。














 ――さようなら。


 言葉が耳から離れず、繰り返し繰り返し、刃物のように、切りつけていく。
 けれど鈍った思考に、感情に、痛みは鈍く。

 レイナはふらりあてもなく歩き続けていた。
 きっとこのまま彷徨っていたら彼の元へ辿り着いてしまうのだろうと、思った。ここ幾日かと同じ。
 彼の声は騒音の中でも耳に入ってくるし、彼の姿は遠くからでも見つけられてしまう。


 早く引き返さないと。彼に会う前に。


 けれど――声が。すぐに聞こえてきてしまった声が、足を止めさせる。頭では離れるべきだと思っているのに。

「――だよ!?」

 大きな声は珍しくない。この辺りでは日常のことだと彼女は知っている。だけどこれは怒鳴り声ではないだろうか。
 恐る恐る壁に身を潜め、通りの先を覗いてみると。

「エリック――!?」

 彼がいることはわかっていたけれど、男に取り囲まれているだなんて。その背には、尻餅をついた子供が震えている。
 思わず体が動いていた。
 状況は見るからに明らかで。彼が悪いわけはないと、信じられるから。
 家族が見ていたらきっと咎められるであろう歩調で勢いよく歩み寄る。


「ちょっとあなたたち」


 静かに強い口調。その声に、彼女の姿に、男たちは不快そうな顔もせず、笑う。
「何をしているの」

「レイナ……!?」
 驚きの表情を見せるのはエリック。半年ほど付き合い、ついこの間別れた、レイナの大切な人。
 彼の顔を見てしまうと緊張も増したけれど、退くわけにはいかない。

「見たところただ声を掛けているという風には見えないけれど」
 男一人と子供を相手に数人の男。物騒というものだろう。
 男たちは鼻で笑い、あごでエリックと子供を示す。

「ガキがぶつかってきやがったから礼儀ってもんを教えてやってんだよ」
「ついでに絡んできた野郎にもな」
 どう見てもそうは見えないけれど、ここはおとなしく彼らの言い分に従っておくべきだろうか。

「それじゃあ謝れば許してくれるのね?」

 男たちは視線を交わし、笑う。そしてにこりと――したつもりなのだろう――笑って頷いた。
 目は全てレイナに向けられていて、背後でそっとエリックが座り込んでいる子供を起こしたことには気付いていないだろう。

「代わりにあんたがオレら構ってくれよ」
 何の代わりに、なのかまったく理解出来なかったが、レイナも笑み返す。


「私がコールダリィ第六王女レイナ=コルトックと知っての言葉でしょうね?」


 ――その言葉に。
 男たちは一瞬動きを止めた。その隙に。


「走れレイナ!!」


 エリックが叫び、走り出す。罵声、怒号が追ってきたけれど振り向くわけがない。
 彼が子供を抱え、手を取り合って走る。

 走る。走る。走る――












「じゃあな。これからは気をつけろよ」
 路地を幾つも走り抜け、もう安全だろうというところで子供を見送った。
 なんだかんだと文句をつけられて怖かったのだろう。すっかり元気になり、手を振り駆けて行った。


「レイナ」
「―――――何」
 怒っていることが、声からわかる。レイナは目を合わせられない。

「お前何やってんだよ危ないの見てわかったろ」
「大丈夫だったじゃない」
「捕まったらどうしたんだよ!?」

 エリックはレイナの肩を掴む。
 見たこともない表情。けれどそれは、すぐに寂しげなものへと変わる。

「お前……王女だろうが」


 ――キッカケだった。

 二人が別れるキッカケ。そんな顔を見たくないから、そんな言葉を聞きたくないから、言えなかった。


「あなたは私が王女だから心配するの?」
「ちげーよ誰だって……っ」


 ――キッカケだった。
 今、ここで、言わなければ、伝えなければ、後悔する。


 レイナは俯きそうになる顔を上げ、真っ直ぐエリックの瞳を見る。
「……黙っていたことは、謝るわ。何度でも。隠すつもりはなかった」

 ――王女であるということ。

 生まれを嘆いたことはない。けれど普通の恋愛をするには邪魔でしかなくて。
 いつかは話さなければならないと思っていた。まさか、話す前に知られるとは思わず……

「これだけはわかって。――私は家族が大切よ。命を狙われることもある、国のみんなの命を背負う責任もある。支えあいたいと思ってる」

 どうしたって血は変えられない。王家に生まれ育った以上責任がある。
 捨てることもしようと思えば出来るだろう。けれどそうじゃなく。何かを捨てて何かを得るのでなく。

「だけど、あなたのことも大切なの」


 ――好きだから。


 叶うならば、手放すもののないように。我侭だと自覚しているけれど。

 我侭だから、家族と責任を投げ出せない。大切な人がいても。
 我侭だけど、願いを押し付けることは出来ない。大切な人だから。


「それだけわかってくれたら……嫌われていても、いい、から」


 ただ黙って聞いてくれていたエリックへ、レイナは微笑んだ。涙が浮かぶのを必死に堪えて。


「――馬鹿」


 エリックの腕が、そっと抱き寄せた。強がりなんてお見通しだと、頭を撫でながら。












NOVEL