――あなたはそれでいいの?
いいんだ、という想い。だめだ、という想い。混じり合い、問われた言葉と一つになり、痛みとなって胸を刺す。
ミキトの静かな声が耳から離れない。刃物のように鋭く心をえぐる。
サリクスのあの眼差しと遠く感じる笑顔がよぎり、鈍い痛みを引き起こす。
――このままだと、本当に彼女を連れ帰ってしまうよ?
わかっている。仕方のないことなんだと。そうなるべきなんだと。
――後悔してからでは遅いよ。わかってるだろう?
わかっている。後悔することになると。そうなってからでは何も変えられないと。
心、が、せめぎ合って、息苦しくて、どうしようもない……。
自分には、どうすることも出来ないと――。けれど。
――あなたは彼女を手放せはしないよ。
そう、言われて。
悟ってしまった。自分の本心を。
「会わなければ」
と思った。伝えたいことがある。
駆ける。――視線を浴び、注意の声が飛ぶけれど、ハンスには届かない。
「……会いたい……」
落ち着かないんだ、あなたがいないと。傍にいるのが当たり前すぎたから。
どこにいる? 考えて真っ先に浮かんだのは。
「サリクス、さま……っ」
その少女が幼い頃、自分がまだ少年だった頃、二人で、もしくは他の子供たちと、かくれんぼや追いかけっこをした広い庭。
その、彼女が決まっていつも隠れていた場所に姿を見つけ、どうしようか迷った末、ハンスは名を呼ぶ。
「サリー!」
突然の声にはっと振り返ったその顔は、遠目にも驚きが見え、戸惑いの中にも喜色をはらんでいたそれは、次第に訝しむように曇っていった。
彼がそう呼ぶのは"何か"ある時だと――少なくともサリクスはそう思っていたのだ。
なので今回もまたそうなのだと……婚約について、逃げずに王女の務めを果たせと言われるのかと……。
駆け寄ってくるハンスを見て目を逸らし顔をそむけたサリクスは、気がつくと抱きすくめられていて慌てた。
「ハンス!?」
「サリクスさま。この無礼お許し下さい」
初めて耳にする、耳元を掠める声音に、サリクスはドキリとして動きを止める。
「どうかこのままお聞き下さい」
ほとんど無意識にサリクスは頷き、ハンスは深く息を吸って続ける。
サリクスの形のいい耳に、近づけられた唇からこぼれる、囁きとも呟きとも知れぬものが流れ込む。
聞くうちにサリクスは青い目を見開き、ハンスの言葉が終わった頃には静かな涙が頬を伝っていた。
ハンスからそっと身を離し、彼の顔を覗き込むように見上げる。――と、彼女は微笑った。
「なんて顔をしているの、ハンス」
クスクスと泣きながら笑うサリクスに、息を止まらせたような表情だったハンスは面食らう。
「お父さまに話します」
凛と言い放ったサリクスは、ハンスの知るどの姿より美しくて。目が眩むような気さえする。
「……ダメかもしれないけど、もしもあなたと引き離されるようなことになれば……」
思いついたものが嬉しい名案であるように、サリクスはにこっと笑う。
「二人でどこかへ行くというのも楽しいと思わない?」
答え。――二人の気持ちが同じならば、それがわかった今は、もう。傍にいられるなら。
ハンスは言葉も出ず、息が止まるほどに強く彼女を抱き締めた。
――私たちは10以上も歳が離れている。
王族とそれに仕える民と、身分が違う。
けれど。それでも。
どうしようもないことに、私はあなたが好きです。愛しています。
主としてでなく、妹としてでなく、ただ一人のあなたとして。
そして二人は、ハンスの乳姉弟である第一王女ガーネス、サリクスの元婚約者ミキトの応援を受け、しばらくの後に婚儀を挙げることとなる。
――――――――――シーライス歴690年 夏に始まり秋に結ばれた二人の物語。
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