『サリクスさま』
いつも傍にいて、向けてくれる笑顔が好き。
『大好きですよ』
優しく、時にはあやすように囁いてくれる声が好き。
『大丈夫です』
不安な時、怖い時、そっと抱き締めて、髪をなでてくれた大きな手が好き。
『サリー』
たまに、幼い頃のように呼んで、微笑んでくれるのが好き。
――大好きだった。
いつからだろう。「好き」と言えなくなったのは。
昔は嬉しそうに笑って自分もだと言ってくれたのに。
年月を、歳を重ねていくと、困ったように微笑して。……困らせたくなんかなかったから。
「……どうして……」
どうしてそんなことを言うの?
どうしてこんなに苦しいの?
どうして……どうしてこんなことになったの……?
立場だとか、関係だとか、そんなものはわかっていた。けれど別れる日が来るなんて、わかっていても想像も出来なかったのだ。なのにその日が近づき迫っている……?
彼の言葉には自分でも驚くほど衝撃を受けた。ショックだった。
――いつだって彼は傍にいてくれたのに。
「サリー姉さま……?」
気遣わしげにかけられた声にビクリとし、けれど表には出さずに振り返って微笑んだ。
四つ年下の妹。勝気でいつも元気なこの妹が、今は不安そうに自分を見ている。
「どうしたの、アイラ?」
「……ううん」
自分と違って母親譲りの緑色をした、生き生きとした輝きのあるこの瞳が、サリクスはとても気に入っていた。
この子にはこんな表情は似合わない、してほしくないと思った。
「外は暑いから中に戻った方がいいわ。私も後で戻るから。ね?」
それでも迷うようにサリクスを見上げていたアイラは、「虫が出るかも」とも言葉で、逃げるように走って行った。
……後になって思い返せば、一人にしてほしいとの心を感じた彼女の優しさだったのだろう。
クスクスと笑って可愛い妹を見送ったサリクスは、ため息を吐いて薄暗くなった空を見上げた――。
その日の夕食の席にも、次の朝食の席にも、サリクスの姿はなかった。
テーブルには、家庭を持つなどしている三人を除く、王とその妻子、親類だという養い子、そして客人であるミキトの、計十人がついていた。
客人がいるのにその婚約者である娘がいないことにコールダリィ王は申し訳なさそうにしていて、見ていたミキトはなんだか彼の方が気の毒に思えた。
この朝の食事を終えると彼はコールダリィ王を通してハンスと再び顔を合わせた。
「サリクスさまの世話係の彼と会ってもよろしいですか」
そう言うと早かった。
国王はすぐにハンスにその旨を伝えるよう指示を出し、その結果、昼になるより随分前に、ミキトの申し出は叶った。
……城内で目当ての人物にこれほど短時間で会えるとは、彼の予想以上であったが。
「何用でございましょうか。ミキトさま」
ミキトの部屋に、と開放された部屋だった。
今のこの季節にはいい、白い壁に涼しげな青でまとめられたそこには、落ち着くようにとの心遣いであろう、ヴァイス産の織物などが敷物やそこかしこに使われている。
ハンスが部屋に入り、口を開いたのが合図であったかのように、ミキトと共に立っていた彼の配下のコウキが、外側から扉を閉めた。
見張りのような役割をするのだろう。――聞かれて楽しい話ではないのだ。もちろん部屋には二人だけ。
「やめてくれと言っただろう。そんなものは公の場だけでいいんだ」
跪いたまま一向に立ち上がらず頭を上げさえしないハンスに、ミキトの口調は知らず棘をはらむ。
けれど次の瞬間、彼はほとんど無意識に深く息を吐いて冷静さを取り戻した。……王族たるもの、己の正直な感情を露にしてはならないという、彼の父の教えからだろう。
「とにかく、立ってくれないか。話がしたいだけなんだから」
重ねて言われ、仕方なくといった体で立ち上がったハンスの目を、ミキトは真っ直ぐに見つめる。
見つめ合う形になりながら、やはりこの男の目は苦手だとハンスは思う。
「わかっているだろう。サリクスさまのことだ」
もちろん、ハンスはわかっていた。昨日の続きか、また同じことを。もういいと思った。半ば投げ遣りになっていた。
目の前のこの相手は、自分を罵るだろうか。嘲笑うだろうか。
サリクスが姿を見せないことをハンスも知っていた。あれ以来会っていない。自分ではなく彼女が避けている。……と言うよりは、誰にも会おうとしていない、が正しいか。
他人を遠ざけるのでなく、自分が遠ざかる。なんて彼女らしく、切ないことか。
「前に言ったことはあなたに伝わらなかったようだから、もう一度だけ、言おうと思って」
前――身分も年齢も関係ない、と聞こえた言葉。焚き付けるような。……出来るはずのない。
―――――。
勢い良く扉が開き、黒髪の男が走り出て行くのを、ミキトは微苦笑しながら見送った。
「ようは、素直になれってことさ」
一人呟いて肩をすくめると、先刻の客と入れ替わりのように別の男が入ってきた。
さして歳の変わらぬ、赤茶の髪に、褐色の肌の。扉の外側、廊下で主の用が済むのを待っていたミキトの配下だ。
彼は主人に近づくと笑ってうそぶく。
「ふられちゃいましたね」
「――まだ彼女とは何の話もしてないよ」
「ああそうでした。確定しただけで、これからですもんね、ふられるのは」
「うるさいぞ、コウキ」
笑いを隠すことなく軽口を叩くコウキに、我知らずミキトは僅かだが救われた気持ちになっていた。
――妹のようなサリクス。彼女となら、と思う自分がいたことも確かだから。
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