「オルスさま、いらっしゃいますか……?」
三度ノックがあって、控え目にかけられた知った声に、オルスはドアを開けて応える。
そこにいたのは赤毛に茶の瞳の、同じ年頃の少女。アイラの傍によくいる侍女で、名を知っているはずだと考えた。
「えっと……ホーリスだっけ?」
「は、はい。オルスさまにお手紙が届いていましたので、これを」
ホーリスが差し出した一通の手紙。無造作にそれを受け取り宛名に目を遣る。
――オルス=タジット様
確かに自分宛てだ。手紙だなんておかしいと思っていたが、この字のクセは……。
「ありがとう」
「いいえ。――あの、そろそろ昼食なのですが、いかがいたしましょう」
「んー……。オレは後でいい。みんなはいつものとこだろうから伝えといてくれる?」
いつもならば自分もいる場所。この騎士の宿舎――五人前後で一つの舎、大抵同じ主に仕える者同士で暮らす――から少し行った先にある廉技場(れんぎじょう)だ。きっと今も剣の腕を磨いている。
ホーリスはにこっと笑んで頷く。
「承知しました。声を掛けてくだされば食事の用意をいたしますので」
「うん。じゃあ……」
ドアを閉め、少し開けた部屋とも呼べない、他の幾つかの部屋に繋がった通路の一部のような空間まで歩き、ふと目に入ったイスに座る。
手紙の封を切ると、中から溢れ出たのは花の香り。……何と言う種類だったろう。
遅れて差出人の名を見る。やはり思った通りだ。
中に入っていた数枚の紙を抜き出す。目を通すと、一枚には婚約の報告と結婚式への招待が記されていた。同じ物を何枚も書いたであろうとわかる文体だった。
「そっか……。婚約したんだ……」
呟きが零れ出た。
――幼なじみだった少女の姿が、浮かんで、消える。
『大好きなオルスへ
久しぶり。元気でやっている? 私は元気! ……ってわかるか。
突然手紙出してびっくりした? でもそれより、私が婚約したことがびっくりでしょ。
自分でも驚いてるんだ。信じられないくらい。でもね、すごく素敵な人なのよ、ジェルクって。
本当に、あなたにも会ってもらいたい。
――ねぇオルス。約束、覚えている?
私の家とあなたの家の間に立っていた大きな木の下で約束したでしょう。
あの木ね、切り倒されることに決まってしまったのよ。
だからその前に、約束を果たしましょう。根元に埋めた小箱を掘り出すんだったわよね?
そのこともあるから、だから言うわ。
結婚式に来てくれない? あなたにも祝ってほしいし。
大体あなた、出て行ってから一度も戻って来ていないじゃない。
私はあなたの家族でしょう? ……私にとっても、あなたがもう唯一の家族。
日時については別の紙に書いてるの、見てくれた?
式を終えたら一緒に小箱を取り出しましょう。
あなたに会えるのを楽しみに待っているから。
それじゃあ。 ―――――オリザ』
読み終えてオルスは苦笑した。
相手の意見を聞かず一人で決めてしまっている。そんなところはあの頃と変わっていない。
その表情――それは、同僚が見たら目を見開くように珍しいこと。
オリザとは、オルスにとってそんな存在。昔のような、自然な多種の心を動かす。
「結婚式……。あー……返事出さなきゃ」
ギリギリまで待ってから出そう。前日に届くくらいに。
行けないなんて言えば、理由を追求する手紙が山のように来るだろうから。
約束のことは覚えている。小箱のことも、その中身も。
――互いに宛てた、幼き日の手紙。別れる時に埋めたのだ。
天涯孤独のオルスは貴族の下で働くことになっていたため、それっきりになってしまっていた。
連絡も互いに少ししかしていなかった。騎士になって城にいるとは言っていたが、今ではもう何の便りもせず、ほとんど途絶えていた。
彼女から来た最後の手紙を覚えている。母が死んだ、と。――彼女も天涯孤独になった。
「見たらびっくりするかな……」
下手な字で綴ったのは、彼女への想い。
「結局は、今更だけど」
なんだかおかしく思えて、オルスは笑い出した。
ずっと忘れてしまっていたような人を、自分はまだ好きなのだと知って。だけどそれは、仄かに淡い恋心……。
姉のように優しかった、大好きだった少女。今はもう20歳くらいになるか。別れて10年。何もかもが変わるのに十分な年月だ。
彼は頭上を仰いだ。吹き抜けとなっているその上から、硝子窓を通して光が降り注いでいる。
目を細め、思い出す。
「……そうだ。ミーディスの花だ……」
あの木の下でこれを書いたのか。いつも遊んだ、登っては怒られた、あの大木の下で。
そういえば今頃だ。鮮やかに黄色い花が咲き乱れている光景が浮かぶ。
彼女のことだ。きっと木を守ろうとしただろう。それくらいはわかる。けれど叶わずに。今あそこには彼女しか、自分も―――――祖父もいない。
「……………腹減った」
唐突に立ち上がるとテーブルに手紙を置いたままドアへ向かって歩き出す。
こうして個人的な物を放っていても中を見られることはない。片付けるよう注意されるだけ。それが毎度のことで、彼に手紙というのは珍しがられるかもしれないが。
取っ手に手をかけると、瞬間目の前が開ける。
外側からドアが開けられたからだとすぐに理解する。
「やっぱりいたー」
「アイラさま……みんな?」
外にはよく知った顔が揃っていた。アイラを始め、ブレス、ルーク、レイシア、メイファのいつも一緒にいる仲間たち。それから、彼らの後ろにいるのはホーリスだ。
「調子が悪いってわけじゃないんだろ?」
レイシアが笑う。オルスは目をぱちくりさせ、首を傾げる。
「アイラがみんなで昼食をとりたいと言ってな」
「あら。みんなは違うって言うの? あたし一人のわがままみたいに言われたくないわ」
アイラの言葉にみんなが笑う。
「まぁそういうわけで迎えに来たんです。どこかへ行かれてたらどうしようと思ってたんですが」
「ちゃんとここにいたからよかったなって」
「あたしの言った通りでしょっ?」
大げさにも胸を張ってみせるアイラに、ブレスまでもが苦笑する。
「あ……」
「何をしているんだ、オルス」
ルークが笑む。当たり前のように。
「行くぞ?」
「あ、うん……」
――色々あった。本当に。悲しいことから始まって、今、ここにいる。
オルスはゆっくりと外へ踏み出した。
――みんな、曇りなく笑うから。
「とっころでぇ、何を食べさせてくれるのかしら?」
アイラの言葉にホーリスが笑って答える。
「はい。"マトンとムール貝のポトフ"、それと"コーンサラダ"です」
「へぇ、あたし食べたことないわよね? おいしいの?」
「もちろんですっ! なんたって―――――」
黄色い花びらがちらちらと降る。
本当に幼い頃、好きと言ってもらった。
――忘れない。
君の言葉も、笑顔も。知る限りの君のことを。
『……だからオリザ。幸せになって―――』
NOVEL