第77話 遠い日の陽だまりに








 ――夜の闇は怖くなかった。とてもあなたに似ていたから。











 毎日は平穏に過ぎていた。
 倒れたあの日からすでに十日が経っただろうか。あの時のことをメイファは覚えていないという。 目を覚ました彼女はいつも通りで、ただそれ以来ふとした瞬間に曇る顔が、皆には気がかりだった。





 ――声が聞こえる。


『めー』

 舌足らずな声で呼んでいる。とてもよく知っている声。だけど懐かしく。

『メイ』

 あたたかい声。呼んでいる。泣きたいほどに遠く近く。
 甘えるように見上げると、優しい腕が伸ばされた。

『おいで』

 みんなが呼んでいる。彼が呼んでいる。


 遠い日の陽だまりが――





「どうした、メイファ?」


 すぐ間近で掛けられた声にはっとする。
「あ、ルークさま……」

 気がつけば本を抱えたままぼーっとしていた彼女を心配し、ルークが顔を覗き込んでいた。
 青い瞳が気遣わしげに見つめている。

「大丈夫です。そんな顔しないで下さい」
 言うけれど、ルークは首を振り、苦笑のように微笑する。

「君はいつだって平気なふりをするから。気が抜けない」
「それはルークさまもですよ」

 人を気にかけ自分のことは後回し。そんなところが愛しくて、だけど心配になる。
 この二人の場合はお互いさまではあるのだが、ルークは彼女の頭を軽くなでアイラの元へ歩いていった。他の騎士たちは出払っていて今この部屋にいるのは彼一人だった。


「あっ」


 アイラの声に目を向けると、書類の束を手にため息を吐いていた。
「アイラさま?」
「ごめんメイファ、シルク姉さまから預かったこれ、渡してきてくれないかしら」

 持ち上げられたのは司法関係のもの。この時期は陽気のせいか浮かれた者も多く出るため、司法長を務めるアイラの姉から、こちらにも仕事が回されてきているのだ。
「はい、わかりました」
「いらっしゃらなかったら兄さまにお渡ししておいて」

 メイファは微笑んで頷いた。
 アイラの言う兄さまとは兄王子のことではなく、スフィアという司法副長。八年前にシルクと結婚をし、公私ともに姉を支える兄となった人。
 共に在りながら仕事をこなしていく彼らに、メイファは憧れのようなものを抱いていた。

「行って参ります」

 静かに扉を閉め、メイファは息を吐いた。





 あれ以来、いろんなものから記憶がよみがえる。引きずり出される。
 はっきりしないけれど、眩暈に倒れそうになる。


 窓越しの空を見上げた。




 ――あの日が、閉じ込めた記憶が、戻ってくる。












<< back    next >>

NOVEL