――夜の闇は怖くなかった。とてもあなたに似ていたから。
毎日は平穏に過ぎていた。
倒れたあの日からすでに十日が経っただろうか。あの時のことをメイファは覚えていないという。
目を覚ました彼女はいつも通りで、ただそれ以来ふとした瞬間に曇る顔が、皆には気がかりだった。
――声が聞こえる。
『めー』
舌足らずな声で呼んでいる。とてもよく知っている声。だけど懐かしく。
『メイ』
あたたかい声。呼んでいる。泣きたいほどに遠く近く。
甘えるように見上げると、優しい腕が伸ばされた。
『おいで』
みんなが呼んでいる。彼が呼んでいる。
遠い日の陽だまりが――
「どうした、メイファ?」
すぐ間近で掛けられた声にはっとする。
「あ、ルークさま……」
気がつけば本を抱えたままぼーっとしていた彼女を心配し、ルークが顔を覗き込んでいた。
青い瞳が気遣わしげに見つめている。
「大丈夫です。そんな顔しないで下さい」
言うけれど、ルークは首を振り、苦笑のように微笑する。
「君はいつだって平気なふりをするから。気が抜けない」
「それはルークさまもですよ」
人を気にかけ自分のことは後回し。そんなところが愛しくて、だけど心配になる。
この二人の場合はお互いさまではあるのだが、ルークは彼女の頭を軽くなでアイラの元へ歩いていった。他の騎士たちは出払っていて今この部屋にいるのは彼一人だった。
「あっ」
アイラの声に目を向けると、書類の束を手にため息を吐いていた。
「アイラさま?」
「ごめんメイファ、シルク姉さまから預かったこれ、渡してきてくれないかしら」
持ち上げられたのは司法関係のもの。この時期は陽気のせいか浮かれた者も多く出るため、司法長を務めるアイラの姉から、こちらにも仕事が回されてきているのだ。
「はい、わかりました」
「いらっしゃらなかったら兄さまにお渡ししておいて」
メイファは微笑んで頷いた。
アイラの言う兄さまとは兄王子のことではなく、スフィアという司法副長。八年前にシルクと結婚をし、公私ともに姉を支える兄となった人。
共に在りながら仕事をこなしていく彼らに、メイファは憧れのようなものを抱いていた。
「行って参ります」
静かに扉を閉め、メイファは息を吐いた。
あれ以来、いろんなものから記憶がよみがえる。引きずり出される。
はっきりしないけれど、眩暈に倒れそうになる。
窓越しの空を見上げた。
――あの日が、閉じ込めた記憶が、戻ってくる。
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