第70話 己の誓い
 由梨の言葉に、ブレスはしばし動きを止めた。外は明るく、小さく鳥が鳴く。


 ――記憶がなくても傍にいてほしい。


 濡れた瞳で見上げ、ぬばたまの髪を揺らす。

「……申し訳、ありませんが……」
 瞳を直視することが出来ず、伏し目がちに口を開く。そんなブレスに由梨は慌てたように微笑う。
「答えは今すぐでなくて構わないの。時間はあるのだもの」

「いえ、私の答えは決まっていますから」

 はっとする由梨からブレスは数歩退き、一つ呼吸をした後、真っ直ぐに視線を合わせた。
 揺るがない強い瞳――


「俺はブレスだ。記憶がないことはもう、そんなことは構わない」


 それは、由梨にとっては"彼"の存在を否定する言葉。

「ユリ姫、俺は本当に姫の臣下だったのかもしれない」

 記憶はない。感じるものも、ないと言える。けれど姫の瞳が。
 ――黒い、真っ直ぐに澄んだ瞳が。

 そこに映る自分は、彼女の言う"雪彦"なのだと思わせる。
 真偽はわからないものの、彼女はそう信じている。……確信している。

 ――だけど。


「だが今はアイラの騎士だ」


 コールダリィ第七王女アイラ直属護衛騎士隊長、ブレス=ナンドス。
 全ては養父に拾われたところから始まった。それがブレスの人生。

 彼の中でただ確かなのは、そうして生きてきた事実。
 家族、仲間、主、彼らがいるから、そう思っていられるのだろう。



「俺はそれで充分なんだ」












 そっと囁くようにメイファは問いかけた。
「ブレスさまのお決めになったことに従うのですか……?」

「……わからない……」

 自分の気持ちがわからない。……違う、わかっている。わかっていながらわからないのだ。
 彼を想うほどに、考えるほどに、答えが出てこない。考えがまとまらない。
 わからない。出来得る限りのベストな結果があればいいのに……

 勝手に涙が浮かぶ。泣きたくなんてないから目を瞑るのに、いろんな景色が、よぎって消えて、繰り返して。


 出会いをはっきりとは覚えていない。おぼろげに赤い瞳を覚えている。
 大きな手が、腕が、背が、守ってくれた。――ずっとみんなでいたいのに。
 ――彼の出す答えが、怖い。


 信じていた、信じたい想いが、霞んでいく。












 胸の前で両手を組み合わせた由梨に、ブレスは肩膝をついた。


「私は、王女アイラに忠誠を誓った騎士です」


 命をかけて守ると宣言した。必ず生き抜くことを条件に受け入れたアイラ。
 彼女の騎士となった時に、彼女の成人の儀に、誓った。

「雪彦……」

 もしも幼い日を思い出したとしても、貫き通すだろうと思える。貫ける。


「だから私は姫とともには行けません」


 彼女の為にここにいるから。














「ブレスにはもうあたしなんていらないんだわ。
 それでもあたしは……ブレスがいてくれなきゃ……」














「たとえ彼女が必要としなくとも、私は守って生きたいのです」












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