第60話 英雄と旅人
 軽い、ごく小さな音だけをたて、影は降り立った。明るい廊下にやけに不似合いな。

 騒がしい声や音が聞こえてくる。何かのイベントのようなものがあるらしい。
 好都合だ。奴も中心に出席すると聞いた。
 もし本当に奴なのだとしたら、騒ぎに乗じて――。


「誰だ?」


 背後から掛けられた聞き覚えのない女の声。
 気配を感じさせずこちらの気配には気付き、背後をとるとは。かなりの腕の者だろう。

 けれど彼は彼女を知らない。
 しかしそれも当然のこと。休みをもらい国を離れ……ここはコールダリィではないのだ。
 振り向かず、彼は逆に問い返す。

「あんたは?」
「この家の者」

 ――この家の。
 ならばこの女は知っているだろう、自分の目的とする場所を。
 ゆっくりと振り向いた。

「こんな所でどうしたの、旅人さん?」
「旅人……」
「だって名前知らないもの。教えてくれる?」
「……旅人でいい」

 一目見ればこの土地の者ではないとわかる。彼は大きな布を体に巻きつけたような格好をし、 肌をあまり見せていなかったが、それでもやはり、見る者が見ればすぐに。
 肌の色の違い、布の質の違い、他にもあげればある。

 けれど……まず見知らぬ他人が家に上がり込んでいたら、そのことについて注意なりをするべきではないだろうか。 害される心配はないと思っているのか……。

「騎士?」
 その人は黒い髪を雑に束ね、鴬色の瞳を煌めかせていた。
 腰には細身の剣を佩き、騎士としての自分を誇るかに見えた。


「わたしはシウェル=ミネリア。またの名をフィリオアと言う」


 ――ただの騎士ではない。
 そう感じた。何が、という明確な理由はない。けれど敵意もないと、わかった。

「旅人さんも騎士か?」
「………いや」

「そう。まあ何でも構わないさ。これも縁ってことで、どう、もうすぐパレードが始まる、特等席に案内しよう」
 どう、と言いながらも彼女、フィリオアは返事を聞きもせず歩き出す。

 貴族の端くれとはいえ、一般の民所有にしては大きな屋敷。
 この国はコールダリィと比べ、貧富の差がそう大きくはないと記憶している。
 実際人々の服装にも建物にも、どこを見ても大きな差は見られない。

 けれどそれはつまり、逆に考えればここに住まう者は別格だということだ。
 国の認める騎士を、多く輩出している一族であるとは聞くけれど。

 ここは奴の生まれた家。そしてこの家の者という彼女は、血縁者と考えて間違いないだろう。
 角を何度か曲がり、階段を上がり、そして一つの部屋に辿り着く。


 ――記憶の中の光景。


 差こそあれ、彼はここを知っていた。けれど人の気配はない。
 ……だから探し回っていたのだが。

 ノックすることもなく扉を開けた彼女は、そのまま窓へと案内する。
「旅人さん、いい眺めだろう」
 開け放たれた窓からは冷たい空気が留まることなく流れ込み、 外にはこの寒さにも関わらず多くの人が笑い賑わっていた。

「特等席だよ。主様の部屋だしね」
 そう言って笑う。黒い髪が光に、僅か深い赤茶に染まる。

「今日は――」
「戴冠式でね、国王が公に替わる。国中の有名人も集まる。で、この騒ぎさ」
 ではパレードとはその有名人たちが城へ向かう行列ということか。

「よく見て行くといいよ。そうあるもんじゃないし。まあ六番目くらいまではさ」

 この国に多いという黒っぽい多くの頭を眼下に眺めながらぼんやり話を 聞いていると、フィリオアは時計を見て謝りながら出て行った。


 ――あの頃とは違う。


 本当に奴は生きているのだろうか。あの頃は酷かった。人々は皆暗い目をしていて。
 その原因は全てあの人物だった。生きているのなら……何故、皆笑っていられる?


「お前……ッ!?」


「……また出た……」
 二ヶ月ほど前……だろうか。自分の命を狙ってやってきた少女。
 傭兵志願とか何とか言っていた気がするが、何故ここにいるのか。

「俺は兄さんの手伝いだ!」
 ということは少女の兄は傭兵なのだろう。そういえばこの下の道にも騎士や兵がいて、 行列と人々の双方を守っているのが見える。この国はこの二種を上手く使い分けているというのは本当らしい。
 少女が一人で彼に対する疑問とも文句ともつかぬ台詞を言う声を聞き流しながら、彼はそんなことを考える。

 ……ふ、と音が止んだ。
 突然空気を震わせるほどの大歓声が上がり、彼は目深にかぶっていたフードを落とし、目を見張った。


「ゴルダさま――」


 少女が歓喜に色付いた声で呟く。同じ言葉が眼下で叫ばれていた。
 目に映るその姿は――…

「フィリオア……?」
 毛並を輝かせた黒馬にまたがり手を振るのは、先ほどまでここにいた女だった。

「まさか……会ったのか!?」
「……あれが、ゴルダ=ガルーゼン……?」
「そうだ、あの方が英雄。反逆者を打ち倒した、な」


 シウェル=ミネリア、この国特有の別の名となる公名をフィリオア、

 そして一族代表となった今の彼女の最も有名な名が、ゴルダ=ガルーゼン……。


「反……逆者……」
「前の当主は酷かったらしいけど、今はあの方がいるから」
「フィリオア……」

 彼女が今のゴルダ。では、やはりあの……
「ゴルダ=ガルーゼンは死んでた……」

 真実がわかってしまえば、動揺していた自分がとても馬鹿で。
 腹の底から笑いが込み上げてきた。

「くっ……あは、あはは……」
 突然笑い出す彼に、少女はぎょっとしたように身を引く。

 と、言葉の判別も出来ないような歓声が上がった。
 ゴルダ=ガルーゼンが手を振っている。こちらを見上げ、強く笑みかけ。


 ――彼女は知っているのだ。


 前ゴルダ=ガルーゼンを斬りその命を奪った者が誰か。何のために彼が現れたのか。
 気付いていたのだ。六番目。彼女の言っていた番号。ゴルダ登場の。
 オルスはまた笑った。泣いてしまうほど。









 肌の色の僅かな濃さ、闇のような黒髪、光色の瞳。

 ――そして何より、あの空気。

 彼を見て震えた。あの時の恐怖。あの頃に戻ったかのような錯覚。
 扉の前で擦れ違った、まだ幼い少年と10代半ばだった自分。

 暗がりの中であったけれど、間違えるはずはない。
 闇に映える血の……むせるような……におい……

 フィリオアはふ、と息をもらす。


「英雄はお前だよ、旅人、さん」












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