「すみません、逃がしてしまいました」
そうルークが報告したのは、彼らが部屋を出て二時間ほどした後だった。
争い、逃がし、追い、けれど見つけられず。
そして血と穢れを洗い流すために水を浴び着替えてから、このメイファの部屋を再び訪れたのだ。
「ルーク、ブレス……っ」
彼らの言葉を今はどうでもいいというように小さく首を振ったアイラは、今なお眠るメイファを目で示す。
「メイがね、」
レイシアの震える声に喜びの色。不安はもちろんある、けれど希望を見つけた。そう聞き取れた。
彼の手は強く姉の右手を握っていた。反対の方向にアイラが同様に座っている。
「まだ少しだけど、起きそうなんだ……っ」
「手にちょっと力がこもったの。ずっと生きているかもわからないくらいだったのにっ」
――まるで人形のような。
言われてみれば、部屋を出る前とは確かに違う。僅かな差であるかもしれないが、それは明らかな差。
頬に赤みが見られ、今にも目を覚ましそうに見える。
「メイファ……さん……」
喜びたい気持ちとそれを抑える心配な気持ち、複雑な気持ち。
どうすればいいのかわからなくなったように立ち尽くしているルークの方をブレスが軽く叩いた。
返事のように見上げてきたその顔は、子供のようにも泣き出しそうにも見えて。
「傍に行け」
背を押してやる。よろめくようにふらりとベッドに数歩近づくと、レイシアがその場から離れた。
ふわりと笑って場所を譲る。
ルークは吸い寄せられるようにベッド脇に座り込んだ。恐る恐るのように、右の手に触れる。
あたたかい。
それは、当たり前のことなのだけれど。
失ってしまったものがよみがえってきたようで、その手をそっと握った。
両の手のひらで包み、握り返してくれるのを祈るように思う。想う。
「メイファ……」
祈りの言葉だ。大切な大切な名前。何にも変えられない。
この世にこれ以上美しい言葉はないだろうと、思う。
静かにベッドから離れたアイラに、ルークは気付かないようだった。
いつもの冷静な彼ではない。けれどそれでいい。そう思う。
アイラは人数が足りないことに気付き首を傾げた。ブレスは首を振る。
――オルスがどこにいるか、わからない。
いるはずだった扉の前には姿はなかった。代わりのように廊下が赤黒い染みを作っていたので、
あの男が来ていたのだろう。そしてそれを追って行った。そう考えるのが妥当だろう。
「探すか」
小さくブレスが呟いた。
今もまだ姿を見せないことが気になる。あの傷を負った相手に彼が負けるというのも考えられないが。
アイラとレイシアは頷いて見せ、なるべく音を立てないよう、そっと部屋を後にした。
自分のそれより小さなその手を、頬に当てる。ぬくもりに切なくなって、そっと唇を寄せた。
ぴくりと、指が動いた気がした。
ルークは驚き、身を乗り出して彼女の顔を覗き込んだ。
その下には緑の瞳があると知っているが、瞼は閉ざされたまま。
薄い桜色になり、熱を感じさせる頬。わずかに開いた小さな唇。
――あの光景が頭の中をよぎり、消える。
自分が憎まれるばかりに、あんな男に穢された。
思った瞬間、気付くと、自らのそれを重ねていた。
我に返ってすぐに離れたが、魔導の術にも関係しているかもしれないと
――それが自分への言い訳であっても――思い、再び口付けた。
そっと、触れるような、わずかに、熱を伝え合うような。
彼女への想いと、祈りを込めて。
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