第43話 雨音
「秋雨だ……」
 言いながらも窓を閉めず、何故だかのんびり果物ナイフを磨いているオルスを 見るとはなしに眺めながら、ルークは雨音を聞いていた。

 ―― 一晩が明けた。


『あなたは、誰ですか……?』


 何度も何度も、頭の中を反響しては消える。
 ――メイファは、ルークの記憶だけを失っていた。
 名前、立場、関係。アイラのこともレイシアのことも、他の誰もこともわかるのに。

 ルークのことは、何も覚えていない。

 彼は強く目を瞑る。










「何……言ってるの? メイファ?」
 アイラらしくない、不安のような、怯えのような声だった。
 皆が、呆然とメイファを見つめていた。

「ルークさんじゃないか。どうしたんだよ、メイ!?」
 レイシアがまたも泣きそうに顔を歪める。オルスはルークを見、ブレスを見る。

「これって、あの男の仕業……」
 どう見ても、とブレスは頷く。酷い、とアイラの声は震える。
 メイファを失ったわけではないけれど、それは幸いと思うのだけれど。

 ――喜びの後に知らされた悲しみ。

 ルークは一言も発さない。

「エーヴィ」
 ブレスの静かで重い声。
「という名に聞き覚えは?」

 今聞いた名を数度呟き、メイファは首を振った。
 ブレストオルスが視線を交わす。意見を交し合うように。

 レイシアがメイファの肩を掴んだ。
「思い出してよ……思い出してよ、メイ!」

 一瞬肩を掴む手に強く力が入り、その後ふらりと立ち上がった。
 その表情に、声に、心に。メイファは泣きたいと思った。


「ダメだよこんなの! メイが、ルークさんを忘れるなんて……っ!!」










「ルークさん、大丈夫?」
 オルスの声に、ルークは思考を引き戻すと苦笑した。
「ああ」


 酷いと思った。……いや、何も考えられないほどに衝撃を受けた。


 気が付くと、一番取り乱しているのはレイシアだった。
 小さな子供のように、泣いて喚いて、怒りとも悲しみとも思えるやり場のない感情を どうすればいいかわからず、そうしてまた泣き喚いた。

 全ては呆然としている間に過ぎてしまい、何を言うことも出来なかった気がする。

 今は、アイラは国王たちへの報告と通常の王女としての業務をこなし、その傍にはブレスがついている。 レイシアは自室で休んでいるメイファの元に。


「捕まえようね」
「……ああ」

 奴はきっと出てくる。今はこの状況を楽しんで見ているのだろうけれど。
 次の行動を起こす。必ず。

 ――雨音が増す。
 声も思考も、掻き消されそうになるけれど。

「秋雨、冷たいね」
 それでもやっぱりオルスは窓を閉めず。ルークは笑う。
「時雨だろう」
 秋というよりは冬なのだから。
 長雨ではなく、きっと。

「すぐに止むさ」












<< back    next >>

NOVEL